「経営理念で飯が食えれば苦労はしない」そう思う経営者は多いはずだ。その背景には、経営理念というものへの誤解があるからなのだろう。「理念はあくまでも理念でしかなく、稼いでいるのは商品、サービスであり、それを売るための営業力なのだ」と。
だから経営企画室が経営理念の見直しを企画しても、経営者に優先度を下げられてしまう。仮にやってみようとなっても、うまくまとまらずにプロジェクトが頓挫したり、定められた理念が浸透、機能せず、「ほら見たことか」と言われてしまう。果たして経営理念で飯が食えるのか。ビジョン、ミッション、バリューは儲かるのか。今回はこのような視点でお話したいと思う。
「稼いでいるのは商品やサービスだ」というのはもちろん正しい。これらは対価を得る手段なのだから言うまでもない。ではそれらの背景にビジョンやミッション、バリューは本当に存在しないのかと問いかけて整理してみると、少なからず存在しており、それらが商品やサービスに与えている影響は少なくない。
つまるところ、言語化されていないだけでビジョン、ミッション、バリューは暗黙的に存在する。それらが明文化されていなくても、暗黙的共有が進んでいれば商売が成り立つ。ところが組織が大きくなったり、リーダーが変わると暗黙的共有が弱くなり、「うちの組織はまとまりがない」「なぜか業績が上がらない」となるわけだ。どんな使命を帯びて何を目指すか、またそれを体現するためにどんな価値観を持つべきかがバラバラなままであると、組織文化にも歪みが出て来るだろう。
ビジョン、ミッション、バリューは企業体と全企業活動の根幹を成す概念であるから、それを明文化しないことがあってはならない。しかし、これまでのコラムにも書いたとおり、明文化するだけでは社員の行動は変わらない。浸透させた上で、日々の事業活動の中で体現できなければ、明文化した概念はただの概念で終わり、何にも影響を与えない。筆者はこの事態を防ぐために、ビジョン、ミッション、バリューと紐付いた行動規範の策定と、行動規範の遵守を評価制度に組み込むことの2点を強くお勧めしている。これによってビジョン、ミッション、バリューは限りなく体現されていくと考えている。
ここまで話をしても、訝しげな表情をされている方がいれば、わたしはイチロー選手の話をすることにしている。ビジョン、ミッション、バリュー、行動規範を説明するためにイチロー選手はもってこいのモデルだからだ。
イチロー選手は何も目指さず、何の使命も帯びず、何の価値観も持たずにあれだけの結果を出しているのか?と聞くと、皆がNOと言う。イチロー選手が結果を出し続けるためにやっていることを知っているだけ出してくださいと言うと、テレビや雑誌で見聞きした、イチロー選手の野球哲学やトレーニング方法などが挙げられる。それらをビジョン、ミッション、バリュー、行動規範のチャートにプロットしてみると実に分かりやすい。考え尽くされた野球哲学に、ストイックなトレーニングや練習の数々、食事や道具へのこだわり―。目指すもののために哲学を磨き上げ、またそれを守り、目指すもののためにトレーニングや練習を決して怠らない。だから結果を出し続けることができるのではないか。
「稼いでいるのは商品やサービスだ」は「(選手として)結果を出しているのはヒットだ」と置き換えることができる。「哲学や価値観はなくとも、俺はヒットを打つのだ」と言い張る理念なき野球選手とイチロー選手を比べることはできない。結果を出し続けるために理念や哲学を定め、ブレない価値観を行動に体現するからこそ、ビジョンを実現し、目標を達成する。これが理解できれば、「ビジョン、ミッション、バリューは儲かるのか」の答えも明らかなはずだ。
沼田利和